「日出づる処の天子」から1400年――日本は再び国家の覚悟を問われている

歴史に学ぶ

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」

西暦607年、遣隋使・小野妹子が隋の煬帝に届けたと『隋書』に記された、有名な国書です。

当時の日本にとって、隋は圧倒的な大国でした。

中国大陸を統一し、巨大な国力と軍事力を持つ隋。

それでも日本は、ただ隋の顔色をうかがい、その秩序の中に組み込まれる道を選びませんでした。

「こちらも天子、そちらも天子」

そう読める国書を送り、日本が一つの国家として向き合う姿勢を示したのです。

当然、隋の煬帝は不快感を示しました。

しかし、日本は隋との関係を断ったわけではありません。

遣隋使を送り続け、隋の優れた制度や文化を学び、それを日本の国づくりに生かしていきました。

ここに、この時代の外交の凄さがあります。

大国を敵にすることが目的ではない。

しかし、大国に飲み込まれることも許さない。

学ぶべきものは学ぶ。

対話すべきところは対話する。

それでも、国家として譲ってはならない一線は守る。

私は、約1400年後の日本にも、これと重なる難しさがあると思います。

現在、日本のすぐ隣には、世界有数の経済力と軍事力を持つ中国があります。

もちろん、7世紀の隋と現在の中国をそのまま同一視することはできません。

時代も国際法も、経済関係もまったく違います。

しかし、

「巨大な大国と隣り合いながら、日本の平和と独立をどう守るのか」

という国家的課題には、通じるものがあります。

中国との対話は必要です。

経済交流も必要です。

いたずらに中国との対立をあおるべきでもありません。

しかし、対話と迎合は違います。

そして、平和を願うことと、国を守る備えをしないことも違います。

相手が巨大であるからこそ、日本には外交力、防衛力、経済力、技術力、そして同盟国・同志国との連携が必要になります。

高市総理が背負っているのも、この極めて難しい舵取りではないでしょうか。

中国との対話の扉は閉ざさない。

しかし、日本の国益、安全、主権については譲らない。

言葉にすれば簡単です。

しかし、実際の外交では一つの発言、一つの判断が、経済にも安全保障にも国民生活にも影響します。

私はそこに、聖徳太子の時代と重なる国家指導者の苦労を感じます。

必要なのは、中国を嫌うことでも、中国を恐れることでもありません。

中国とは対話する。

学ぶべきものがあれば学ぶ。

経済交流も続ける。

しかし、日本の主権、安全、自由を守ることについては曖昧にしない。

それが本当の意味での外交ではないでしょうか。

そして、ここからが教育に携わる者として、最も考えたいところです。

子どもたちに「考える力」を

私たちは子どもたちに、何のために歴史を教えるのでしょう。

607年に遣隋使が派遣された。

小野妹子が隋へ渡った。

聖徳太子の時代だった。

それをテストのために暗記するだけなら、歴史を学ぶ意味の半分もありません。

大切なのは、

「なぜ、その時代の人々はその決断をしたのか」

を考えることです。

当時の日本よりはるかに強大な隋を前にして、なぜ日本は自らの立場を示そうとしたのか。

一方で、なぜ遣隋使を送り、隋から必死に学ぼうとしたのか。

そこまで考えて初めて、1400年前の歴史が現代につながります。

そして私は、子どもたちにはもう一つ大切なことを伝えたいと思っています。

「平和」は、ただ願っていれば続くものではない。

同時に、

「国を守る」ということは、戦争をしたがることでもない。

戦争を起こさないために外交がある。

相手から軽く見られないために国力がある。

世界と対話するために語学がある。

相手の考えを理解するために歴史を学ぶ。

そして、正しい判断をするために勉強するのです。

だから教育は、国家の未来と無関係ではありません。

数学ができる。

英語ができる。

受験に合格する。

もちろん、それも大切です。

しかし、その先にあるのは、

「自分の頭で考え、自分の国と世界の未来を判断できる人間を育てること」

ではないでしょうか。

自分と違う意見にも耳を傾ける。

感情だけで外国を敵視しない。

しかし、守らなければならないものについては、自分の言葉ではっきり主張する。

私は、そんな子どもたちを育てたいと思っています。

「日出づる処の天子――」

あの国書から約1400年。

日本を取り巻く世界は大きく変わりました。

しかし、変わらない問いがあります。

大国の顔色だけを見て生きる国になるのか。

それとも、

世界と協調しながらも、自分たちの国の未来は自分たちで決める国であり続けるのか。

これは政治家だけが考える問題ではありません。

これから日本を背負う子どもたちにも、いつか答えを出してもらわなければならない問題です。

だからこそ、歴史を学ぶ。

だからこそ、世界を学ぶ。

そして、だからこそ教育が大切なのです。

1400年前の国書は、過去の一ページではありません。

今を生きる私たちに、

「日本はどう生きるのか」

と問い続けているように思えてなりません。

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