
ある日、小学生の子どもが、ふとこんな質問をしてきました。
「愚痴って、なに?」
意味を説明し、具体例も挙げました。
それでも彼は少し考えたあと、こう言いました。
「じゃあ、僕は言ったことない。」
この一言に、私は正直、驚かされました。
12歳まで「愚痴」を知らずに生きてきたという事実
「愚痴」という言葉を知らないこと自体がすごいのではありません。
愚痴を“必要としない環境”で12年間生きてきたことが、極めて稀なのです。
教育学的に言えば、これは
情緒が安定し、自己肯定感が健全に育っている可能性が高い状態を示します。
人は通常、不満や不安を外に吐き出すことで心のバランスを取ろうとします。
つまり、愚痴は「心の防衛反応」です。
それを知らずに済んでいるということは、
• 不満を溜め込むほど追い詰められていない
• 不満を言語化する前に、受け止められてきた
• 問題が起きても、解決できるという信頼感を持っている
こうした土壌が、日常的に存在していたということです。
子どもは、親の「言葉の使い方」を驚くほど正確に真似る
ここで重要なのは、家庭での大人の言葉です。
子どもは、
「親が自分に向けて言った言葉」だけでなく、
親が世界に対してどう語っているかを、そのまま吸収します。
もし家庭で、
• 仕事の愚痴
• 学校や先生への不満
• 他人への批判や陰口
が日常的に交わされていれば、
子どもが「愚痴」という概念を知らないまま育つことは、まずありません。
つまり今回のケースは、
保護者が子どもの前で愚痴を“言わない”選択を積み重ねてきた結果だと考えられます。
これは偶然ではなく、明確な教育姿勢です。
哲学的に見る「愚痴」と「人格形成」
古代ギリシャ哲学では、
人の人格は「日常的に使う言葉によって形づくられる」と考えられていました。
愚痴とは、
「自分ではコントロールできない」という世界観の言語化です。
一方で、愚痴を必要としない子どもは、
• 世界は理解可能である
• 問題は対処できる
• 自分は無力ではない
という前提で世界を見ています。
これは、**学力以前に育てるべき“思考の土台”**です。
テストの点数は後からいくらでも伸ばせます。
しかし、
「どうせ無理」「仕方ない」「大人が悪い」
という思考癖が染みついたあとで、それを修正するのは非常に困難です。
本当に「素晴らしい子育て」とは何か
このエピソードは、特別な英才教育の話ではありません。
教材や習い事の話でもありません。
日常の言葉を、どう選んできたか
それだけの話です。
愚痴を言わない親は、
「完璧な親」なのではありません。
• 感情をコントロールし
• 不満を子どもに預けず
• 大人の責任として処理してきた親
なのです。
そして、その姿勢は確実に子どもに受け継がれます。
まとめ:学力以前に育つもの
「愚痴って何?」と聞いたその子は、
学力以前に、生きる姿勢を学び終えていました。
これは、どんな難関校合格よりも価値のある財産です。
そして何より、
それを可能にしたご家庭の在り方は、
胸を張って「素晴らしい子育て」だと言い切れます。


